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[映画感想・川口俊和原作]「コーヒーが冷めないうちに」を見た~これでいいのか時田数よ。

映画「コーヒーが冷めないうちに」オフィシャルブック [コーヒーが冷めないうちに製作委員会]

コーヒーが冷めないうちに [川口俊和]

この嘘がばれないうちに [川口俊和]

どうもです。先日ブログでご紹介した川口俊和の「コーヒーが冷めないうちに」、この映画作品を見てまいりました。今回はその感想をレポートしていきたいと思います。原作の紹介やあらすじはこちらの2ページをご覧ください。

川口俊和「コーヒーが冷めないうちに」のあらすじと感想を人物相関図付きで~自分が変わることが大事。
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[あらすじ]川口俊和「この嘘がばれないうちに」を読む[相関図付き]~数の秘密、ワンピースの女の正体、すべての謎が解ける?
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週末土曜日ということでどんな客層に人気なのかを見てみましたが、年配の方が結構多く見てらっしゃいましたね。結構若いキャストで固めてるんですがね。まあ原作も割と年配の方に人気があったみたいですから。

Contents

大きな改変要素、オリキャラ新谷、登場しない時田計

で、原作との大きな違いとして、「フニクリフニクラ」のマスター・流の妻である時田計がなぜか登場しません。変わって登場するのがオリジナルキャストである新谷亮介。大学生である彼は「フニクリフニクラ」の常連客となり、あるきっかけから数と付き合うようになります。これは計が登場しない分、数の人格や過去のトラウマを描写するための狂言回し的なポジションが欲しかったのでは?と推察されます。所謂原作に出てくる本編的なエピソードではほとんど絡んでませんからね。ちなみに原作で数は大学の先輩と付き合っているというエピソードがありますが、あくまで常連客が街中で目撃したという話だけで、「フニクリフニクラ」に足を運ぶ描写はありません。

そしてめんどくさいタイムトラベルのルール、こちらも若干変わっています。「過去に戻っても、席を立って移動することはできない。」というルールが「過去に戻っても、喫茶店を出る事はできない。」に変わっています。つまり、喫茶店を出なければ席を立って移動することができるわけです。この改変が後々重要なポイントになってきます。もっとも原作でも途中で席を立ってしまった客はいませんでしたからね(計や千葉剛太郎、万田清が危うく立ちそうになったが)。

映画のあらすじと感想

ではここからは映画のあらすじと感想を書いていきます。基本は全4篇のエピソードで構成され、最初の3つは「コーヒーが冷めないうちに」を原作に、残る1つは「この嘘がばれないうちに」の設定も取り入れたオリジナルエピソードとなっています。

清川二美子と賀田多五郎

原作では医療系のエンジニアとして知り合った二人ですがこの作品では幼馴染になっています。それにしても設定を見ないと「清川二美子って何者?」って思いたくなりますよね。昼間から「フニクリフニクラ」に入り浸って、で恋多き生活を送っていて、普段何をやってるんですかと問いたくなる。一応キャリアウーマンってことでいいんですよね。それこそ原作では二人の出会いとかも細かく書いてあったり(さすが舞台作品)、二美子が「仕事が恋人」というバリバリの仕事人間的描写が強かっただけに、そういった話もなく、ただ彼氏に振られてしまってやっぱり五郎が好きだと言っても何の共感も沸かないですね。五郎も五郎でそりゃ二美子のことが面倒だと思いますよ。まあ原作でも五郎がコンプレックスを気にしていたがためのすれ違いという恋愛話で多少他とは色が違う中身なんですが(しかもこの二人は後々も登場する)、それにしてももっと掘り下げて欲しかったですねえ。

房木康徳と高竹佳代

これ最初見た時「あれ?」と思いましたね。原作とは高竹、房木の設定が逆になっていて、高竹が若年性アルツハイマーに侵された元ツアーガイド、房木はそんな高竹を優しく見つめる看護師になっています。したがって過去に戻るのも高竹ではなく房木で、高竹が手渡したいというある手紙を受け取りに行くわけです。なぜ逆にしたのかは謎ですね。実際これだけが男性のタイムトラベルになっていてアンバランス感が出ないかと思ってしまいますが。あとは原作に沿っていますね。高竹が房木に本当に伝えたかったところの話は泣けます。

平井八絵子と平井久美

自分のせいで「亡くなってしまった妹」に会いに行くという悲しいエピソード。なのになぜかゴーグルに耳栓とタイムトラベルに向けて万全の態勢を取る平井八絵子。そんなことやってる場合か?と言いたくなりますが。話の中身はいたって原作と同じ。自らの誤解、思い込み、すれ違いが招いてしまった取り返しのつかない悲劇。しかし未来を切り開くため、妹の思いを叶えるため平井八絵子は店をたたみ、実家の旅館の女将を継ぐ決意をします。正直あのギャグが無ければかなり泣けるエピソードではあっただけに残念。

時田数と時田要

そしてラストが原作にはないオリジナルエピソード。主人公の時田数のトラウマ、それが白いワンピースの女こと時田要、つまり数の母親が亡くなった夫に会いに行くためタイムトリップをしたきり、戻らなかったという出来事で、その時コーヒーを入れたのが数本人でした(ここまでは原作と同じ)。以降自分を責め続け、ひたすらコーヒーを淹れ続けることしか考えなかった数ですが、なぜ要が戻ってこなかったのか、戻らなかったあの日に戻って母親に会いたいと思うようになります。おりしもこの時、彼女は新谷との間の子供を宿していました。

しかし「タイムトラベルのためのコーヒーを淹れられるのは時田家の女性だけ」というルールに基づくと、淹れられるのは数しかおらず、しかも自分がタイムトラベルするためにコーヒーを入れることはできない。途方に暮れた数だったのですが、ここで彼氏の新谷がとっておきのウルトラC技をひらめきます。

それが「未来の自分たちの子供にコーヒーを淹れさせてタイムトラベルをする」方法。数と新谷の子供である”ミキ”を未来からタイムトラベルさせ、そこで数にコーヒーを淹れて、数をタイムトラベルさせることに成功させたのでした。この部分は未来のある時間に「フニクリフニクラ」にいるように仕向けるという、原作でも時田計や倉田克樹の話に登場した、交通事情とかでも失敗する可能性のある半ばギャンブルな作戦ですね。しかもミキって原作では計と流の子供だったんですけどね。

ちなみに、先ほども書いた通り、原作では「席を立って移動することはできない。」のでこの作戦は絶対にとれません。椅子に座ったまま移動すればいいのかと言えば、どうなんでしょう。いずれにしても映画のような真似は出来ないですね。

また、原作では「子供を妊娠した時点」でタイムスリップのためのコーヒーを入れることが出来なくなるため、そもそも映画のように未来で数がミキにコーヒーを入れてタイムトラベルさせること自体が不可能となっています。ただその子供が女児だった場合、「7歳になるとコーヒーを入れる儀式を行えるようになる」というルールもあるため、単純に考えればミキが7歳になるまで待てばいいという話になるわけですね。もっとも、女の子が生まれる保証はないですが…。

時田要が戻れなくなった原因はやはり数だった?

さてそうして数がたどり着いた過去、それはあるクリスマスのこと。要は亡き夫に会いに行ったのではなく、未来の数に会いに行っていたのです。体が弱く、重い病気に侵されていた要は余命数ヶ月と診断されていました(この設定は原作の計の設定を踏襲した?)が、数にそのことを隠していました。自分がいなくなった後のことが心配だったのでしょう。どうしているのかを一目見たいと。しかし現代に戻る際にしきりに数がごねたため、コーヒーを飲むタイミングを失ってしまったって…おいおい。

結局、時田要が戻れなくなったのは、やっぱり数のせいだったのか?

どのみち余命が数ヶ月だったとか言ってもねえ。それこそ「過去は変えられない」とおなじみのように口にしている数本人がしきりに要に「一緒に戻ろう」と矛盾したことを言い出す始末。これ、考え方によっては立ち直れないくらいのダメージ受けるんじゃないか?だって自分がコーヒーを淹れたばかりに母親が戻らなかったと思ってた。でなぜ戻ってこなかったのかを知るために過去に行ったら、やっぱり自分のせいだったって。ダメを押されるくらい立ち直れないですよ。ということを監督さんや脚本家さんは考えなかったのかと。

それこそ万田清のようなキャストが過去に行っていろいろ見てくるっていう実は緻密に計算された原作の設定のままにすればよかったものを、無理くりオリジナルエピソードにしてしまったためにやや破たんが生じてしまった印象はぬぐえないですね。

結論・こういう作品こそ連ドラで

今回の映画では各々エピソードが駆け足になってしまい、人物像の掘り下げがあまりうまくいかなかったことや、オリジナルエピソードが矛盾してしまったような感じになってしまったのが残念でした。これが連ドラベースであれば、1話約60分の中でじっくり人物を掘り下げることも可能でしょうし、並行して数の心の傷を少しずつ明らかにすることもできたのではと思います。なにせ監督さんは話題作「アンナチュラル」の方ですからね。あ、あと今度の「中学聖日記」、あれも手掛けるんですよね。しかも主演が有村架純だし、あと吉田羊も出るんでしたっけ。まさに「コーヒーが冷めないうちに」の再現ですね。果たしてドラマでは名誉挽回となるんでしょうか?

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