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我が道を行く独立系FM局の誕生
- 1985年12月20日(40周年)- 横浜エフエム放送
Fヨコの愛称で知られる横浜エフエム放送は神奈川県を放送対象としており、関東圏の他局と番組が重複することを避けること、より地域に根差した番組作りを行うため、JFNに加盟しない、FM局としては初の独立局という道を選びました。24時間ほぼ自社制作による番組が並ぶ編成は斬新で、独立系FMの先駆けとなったFヨコは現在でも「FUTURESCAPE」「The Burn」「SHONAN by the Sea」「PRIME TIME」などかなり特徴的なワイド番組などを始め独自の編成を展開しています。
独立局の断念→JFNへの加盟
この流れに乗ってJFNに加盟しないスタイルをとるラジオ局が80年代後半から90年代前半には増えてきます。しかし一方で、独立局は特に厳しい経営を強いられ、ネットチェンジ、つまり独立路線を断念しネットワークに加盟するという局も出てくるのです。
- 1990年10月1日(35周年)- 兵庫エフエム放送
「Kiss FM Kobe」こと兵庫エフエム放送は「兵庫エフエムラジオ放送」という名前で1990年10月1日に放送を開始。このFM局も開局当初は独立局としてスタートし、国際都市神戸ならではの自社制作番組を中心とした放送を行っていました。「シンデレラステーション」と呼ばれるオシャレな番組、ラジオドラマ「バール・サンドリヨン」などがありましたね。また、1995年の阪神・淡路大震災発生時には生活情報を多言語に訳して在住外国人に情報提供を行う、外国語放送局のような役割を果たしたことも。しかし業績の悪化により2003年2月、JFNへと加盟することになります。
その後も粉飾決算、売上水増しなどずさんな経営状態が明らかになり、2010年には民事再生法の適用を申請し経営破綻。いったんはJFNから除名されますが、同年5月には兵庫エフエム放送株式会社を設立し、事業譲渡、放送免許承継が行われ、JFNにも再加盟し現在に至っております。JFNに加盟後もパーソナリティーをSound Crue(サウンドクルー)、リスナーを”Kissner(キスナー)”と呼ぶ独自のシステムは変わらず、ニュースや交通情報のBGMも当時のものをそのまま使用しています。このジングルは一部のマニアにもとても支持されているとか。
さて、2025年は開局35周年、また「Kiss FM Kobe」の運営に大きく影を落とすことになった阪神淡路大震災からも30年という節目になります。毎年” 1.17プロジェクト「減災」”と題した特別番組やコマーシャルを1月中に放送していますが、これに加え、ラジオ関西との共同企画として『REC KOBE 1995』というプロジェクトを立ち上げました。これは未来に遺しておきたい「震災当日のこと」「震災当日への想い」「後世へのアドバイス」などいまから伝えられることを音声としてアーカイブ化し、番組やコマーシャルで発信していくというものです。震災当日にはラジオ関西との2局同時生放送が予定されています。
- 1990年10月1日(35周年)- エフエム大分
「AIR RADIO(エア・レディオ) FM88」の愛称で知られるエフエム大分も「Kiss FM Kobe」と同じ1990年10月1日に開局。翌年の10月にはJFNへと加盟します。ん?最初からJFNではなかった?実はエフエム大分も開局当初は独立局だったのだそう。「新しい音楽文化の創造と音楽情報の発信基地」を目指し、少し前に開局したFM802、エフエムジャパン(J-WAVE)、FM横浜に倣った自社制作率6割以上の番組編成を行いました。しかし東京や大阪、神奈川といった都会のムーブメントを地方都市で再現するのは難しかった。結局財政不安により1年でこの路線は頓挫し、JFN入りすることになったのだそうです。
外国語放送局→1局2波体制の導入へ
この流れは更に経営が弱い外国語放送局にも当てはまります。日本初の外国語FM放送局として開局した関西インターメディア・通称FM COCOLOも前代未聞の完全譲渡が行われることになります。
- 1995年10月16日(30周年) – FM COCOLO
1990年代中盤に入ると関西国際空港が開港し、関西に住んだり、さまざまな目的で関西を訪れたりする外国人が増えることが予想されるようになります。そんな中1995年の1月には阪神淡路大震災が発災します。この地に住む外国人の方々が安心して暮らせるよう、生活のさまざまな面でサポートする社会の仕組みづくり・とりわけ外国語で情報を発信することが重要な課題となり、日本で初めての多言語で放送するFM局・外国語放送局として誕生したのが関西インターメディアことFM COCOLOでした。この翌年には東京でエフエムインターウェーブ(InterFM)、1997年には福岡で九州国際エフエム(LOVE FM)、2000年には愛知国際放送(RADIO-i)といった外国語FM放送が開局し、メガロポリス・レディオ・ネットワーク(MegaNet)という新たなネットワークを形成していきます。
当初は大阪ワールドトレードセンタービルが演奏所となっており、多言語で伝える情報番組やBBC Newsを中心とした番組編成にしていました。が、後述するRADIO-iの閉局を見てもわかる通り、FM局・特に外国語放送局の経営はとても脆弱であり、継続するだけでも一苦労です。関西インターメディアも例外ではなく、2010年4月、”Whole Earth Station“というステーションコンセプトを設け、40代半ば以降のリスナーをコアターゲットとし、802メディアワークスというFM802設立の制作会社によるワイド番組を中心とした番組編成へと変換しました。そして、2012年には運営が関西インターメディアからFM802に完全譲渡され、名実ともにFM COCOLOはFM802の一部となったわけです。2025年は開局から30年ですが、FM802主導の制作体制・”Whole Earth Station”となってからも15年という節目の年となります。
ちなみにこのMegaNet、今や有名無実化されたネットワークとなっています。ネットワークの中心的存在だったInterFMは2020年にJFNへの特別加盟局となったことを発表、FM COCOLO自体もFM802の第2波という位置づけであるため、外国語放送局という立場は堅持しているものの、もはやMegaNetの存在はあってないようなものです。となると現在のFM COCOLOはどのネットワークに属しているのか?独立局なのか、JFLなのか、それとも…。
消えてしまったラジオ局
このように1990年代以降はラジオ界にとって曲がり角を迎えることになります。独立路線を断念しネットワークに加盟するという手段が取れれば、あるいは経営破綻があっても事業譲渡、放送免許を承継する会社が手を上げてくれるところがあればまだなんとかなるのですが、中にはスポンサーが付かず最悪の事態を迎えた局もあります。ここでは現存していれば2025年で周年を迎える2局を合わせて紹介しましょう。
- 2000年4月1日(現存していれば25周年) – 愛知国際放送
RADIO-iの愛称で知られた愛知国際放送は2000年4月1日に開局。先に述べたFM COCOLO、Inter FM、LOVE FMとともにMegaNetを形成していました。しかし2000年代に入ると若者のラジオ離れが加速していった上、外国語放送局はどうしても聴取者が限定されること、そのためスポンサーが付きにくいこともあり経営が困難になっていました。毎年のように億単位で赤字が積み重なっていたそうです。更に2008年のリーマン・ショックによる影響が東海地方の経済にも直撃したことで大手株主の撤退が相次ぎ、興和の100%完全子会社となるも、興和だけでは当然支えきれず、開局から10年半を迎えた2010年9月にその歴史に幕を下ろしたのです。累積赤字は28億8000万円にも達していました。
このような市町村を対象としたコミュニティFMではなく、更に大規模なエリアを対象とした一般放送事業者の自主的な閉局はラジオの民間放送が開始して以降初めてのことでした。民間放送初の廃局というインパクトは大きく、当日は他局である在名のラジオ局でも間接的にこの話題が取り上げられていたということです。上記動画に登場するつボイノリオはCBCラジオ平日の顔です。そしてクリス・グレンは2024年現在ZIP-FMで番組を持っています。
こちらで取り上げたブログでは”放送局がなくなる。この、日本で唯一の貴重な体験したのは名古屋っ子だけ、ということになりそうです。“と記し、他のラジオ局への経営譲渡ができるようになったので(FM COCOLOやInterFM、LOVE FMがこのパターンになる)、今回のケースが最初で最後になると予想していたようですが、残念ながらそうはなりませんでした。この10年後に全県域を対象としたラジオ局が幕を下ろすのです。
- 2000年12月20日(現存していれば25周年)- 新潟県民エフエム放送
FM PORTの愛称で知られた新潟県民エフエム放送は2000年12月に放送を開始。新潟県内全域をエリアとするFM局はエフエムラジオ新潟に次ぐ2つ目で、独立局としてほぼ全ての番組を自社制作する独自のプログラムで放送を続けてきました。
しかし、県内にはすでにBSNラジオやエフエムラジオ新潟が定着しており圧倒的な後発局であったことから開局から早い段階で苦戦が続いていました。2003年からは恒常的な債務超過状態に陥り、累積損失は約11億円に上っていたそうです。さらに2020年には大口のスポンサーから今後の広告を取りやめる意向が示されたことが決定打となり、複数の会社に経営譲渡や業務提携を打診、交渉したものの、いずれも成立しなかったことから事業継続を断念し、閉局を決定したということです。
FM PORTの場合は新潟県全域をエリアとする放送局で、このような県域すべてがエリアとなるラジオ局の閉局は国内初となりました(Radio-iはあくまで県単位ではなく、中京広域圏及び静岡県の中の外国語放送実施地域)。独立局として地域に根差した情報やサブカルチャー、センスのあるジングルなどで親しまれただけにこちらもBSNラジオを始めNSTやUX、Tenyでもトップニュースとして取り上げられていました(さすがにFM新潟はほとんど話題にはしませんでしたが)。放送最終日のドキュメントや番組スタッフ、DJを取り上げた特集に長い時間が割かれていました。