先日6月3日、「Hiro T’s Amusic Morning」のDJ・ヒロ寺平氏が9月30日をもってDJを引退するという宣言をしました。FM802開局当初からの顔として同局の躍進を支え、FM COCOLOの上昇に一役買った関西FM界のレジェンド。いったい何があったのか。当日のコメントとともに要因とラジオに鳴らした警鐘を独自検証してみました。
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DJ引退宣言までの経緯
さかのぼること2日前の6月1日、ヒロTはFM802の30周年特別番組に生出演していました。短い時間ではありましたが、DJに対するこだわりなどを語っており、引退発表をすることなどおくびにも出していなかったように思います。
6月3日、「Hiro T’s Amusic Morning」がいつも通りに生放送。FM802の30周年を受けてか、6時台は1989~90年代といったゴールデンヒットを中心に選曲されていました。月末はG20で交通が混乱することを報じたり、7時台の天気概況もいつもと変わらず、番組は進んでいきます。
そしてこの日が「測量の日」であることを伝えた午前7時1分、「もう1個、大切なお知らせをする日になりました」と切り出し、しばしの沈黙の後、リスナーに衝撃を与える報告が始まったのです。
ヒロ寺平、DJ引退宣言コメント全文
ええ、たぶん、すごいびっくりしはると思うんですけど‥。(しばしの沈黙)ヒロ寺平、引退します。平成元年に開局した802とともに僕も30年間走ってきました。そんな僕なんですけど、今年の9月30日をもってリタイアです。たぶん、びっくりしてるでしょうね。だってさ、僕もね、こんな日が来るとは1年前にはこっから先も思ってへんかったんですよ。まああの、67歳です。でも年齢的な体力・気力が衰えたなんてこっから先もないし、健康面なんかでみたって同年代の人よりよほどのパワー、そして気力があると自負してます。もちろんね、この間の2日前の6月1日の802の開局30年記念の時にちょっと言った。特番をしたんですよね僕。24時間の特番ってアホみたいなことをしましたねえ、開局して2,3年目。あの24時間を「もっかいやってみ」って言われたら、「ごめんなさい。それは無理です」っていうけど、でも例えば今の月曜日から木曜日の4日間、毎朝5時間の番組をするということ、多分これは例えば今から10年ぐらいは平気の平左で、70代の後半に至っても平気でずっとやってたと思います。まあ、それ以上に僕の目標もあって、前を走っている先達たちですよね、語り部の先輩たちがですね、リタイアされる年を追い越すっていうのが一つの目標やし、もっとわかりやすく言ったら、倒れるんやったら喋りながらこのミキサーの前に突っ伏して倒れたい。ずっと思ってたんですけどね。
でもあの…要は徐々にではあるんですけど、僕を取り巻く環境ていうのが変化し始めたんですよ。特にこの1年、それはその相当具体的に僕自身、環境が変化すると同時に息苦しいものに変化していったんですね。みんなが経験したことですけど、バブルが終わって30年、この平成の30年はどの業種、どの業界にとっても平坦な道ではなかった。当たり前ですけど、で、ラジオ業界もその例外ではないんです。でも、どの業界でも同じことなんですけど、関係各部署でそれぞれがどんな危機感をどう思ってそこに立ち向かっていくかっていうこと、ですよね。当たり前やけど、これが一番大切なこと。ただこの1年、僕はその危機意識の持ち方に対する温度差というのを痛切に感じたんです。もちろんあれですよ、感じるだけじゃないですよ。僕のことですから、ずっと聴いてくれている皆さん、分かってると思いますけど、その温度差を埋めるという努力をもう、精いっぱいやってきました。ものすごい勢いで。この温度差何としてもゼロにしないことにはこれから先、もっともっと頑張ってやっていくことはできない。でも、なかなかその温度差を埋めるというとこまでは到達しなかったんですね。だから僕は「引退しよ」っとここでスッパリ決めたということです。
ただ、ラジオってやつはですね、ヒューマンメディアなんですよね。思いっきり。今後、例えばSpotifyとかいろいろあるじゃないですか、ああいうやつ。そんな無機質な媒体がガーッとのしてきても、人間の声で情報を伝えるラジオっていうのは間違いなくこれからも存在していく、と根っからのラジオ人間の僕は信じて疑わないし、そうなります。僕は9月の末でリタイアしますけど、今日、僕がこの日鳴らした警鐘を真摯に受け止めて、ヒューマンメディアの中でもトップ走るFM802、そしてFM COCOLOがこれからももっともっと多くの人にね、愛されて聴かれ続けることを祈ってやみません。
社会人になってから僕は、例えばギターのデザインをしてそれを輸出するという業務をしたり、それから英会話学校も経営したり、でDJもやってきました。まあプロとして貿易業務とか英会話学校、どちらもきっちりやり終えたという自負もあるんです。でもそれ以上に僕にとってはこのラジオDJは天職、とも言い切れるキャリアでした。でその天職を去るっていうのはホント、万感の思いですね。まだまだ元気やしね、まだまだ暴れるしね、まだまだいろんなことしようと思ってるけどね…でもまあ、時期が来たんだなと思います。
中学生の時に出会ったのがビートルズ。その一人、ポールマッカートニー、今から2週間後の6月18日に77歳になるんですよ。古希超えても現役続けるその姿勢に僕、感服しました。2時間超えるライブ、水で喉うるわすこともせんと「うわー」っと歌いっぱなしでやり終える姿は感動でした。その彼が昨年リリースした最新アルバム「エジプトステーション」からね、1曲、お届けします。「誰が何をどう言おうが、毅然と自分の道を進むことにエールを送る」そんな1曲です。Here’s Paul Mccartney「Who Cares」。
- フー・ケアズ
Paul McCartney
ロック
今回のコメントの要点をまとめると
- 体力・気力の衰えによる引退ではない。
- 一生DJを続けることが目標だったが、かなわなくなった。
- この1年間の自分を取り巻く環境の変化に息苦しさを感じていた。
- 引退の要因は、ラジオ業界内での危機感の温度差を埋めることが出来なかったこと。
- ラジオはヒューマンメディア、間違いなくこれからも存在していく。
- 今日自分が鳴らした警鐘を真摯に受け止めて欲しい。
と、まだ続ける力があるにも関わらず、「危機意識の温度差を埋めることが出来なかった」ことで、DJを引退する選択肢を選ばざるを得なかった、というように受け取ることが出来ます。この1年の間、ヒロTの周りで何があったのかでしょうか。ここからは完全に個人的見解で検証してみます(検証というほどのものでもないですが)。
引退の要因と警鐘を独自検証
音楽シーンのフィジカルからデジタルへの環境変化
まず考えられるのが、特にこの数年で世界を中心に音楽の発進のされ方が完全にフィジカルメインからデジタルへと移行していることが挙げられます。
開局当初の802はいち早く「ヘビーローテーション」を設け、それがフィジカル、要するにCDの売り上げのシェアに多分に貢献してきました。こうしたシステムが802発、ラジオ発のヒット曲を連発してきたと言えるでしょう。
しかし、折からのCD売上不況、ならびに新たに配信でのリリースという方法が登場し、更にはこの数年でダウンロード配信の売り上げに変わり、ストリーミング配信の売り上げが大きく伸びています。時代はCDからストリーミングへと確実に変わり、ヒットしたかどうかの物差しもストリーミングの再生回数などで測られるようになりました。その代表的なものがSpotify、ヒロTがいうところの「無機質な媒体」ですね。
それもあってラジオで音楽を発見する前に、ストリーミングで先に音楽を仕入れる、というフローチャートが出来上がりつつあり、音楽をいち早く発信する媒体を担ってきたラジオは後追いのような形になってしまっているのが現状と言えます。ラジオを聴かなくても、ストリーミングのプレイリストを作ってしまえば、自分だけの仮想ラジオが出来ますからね。この私自身がそうなんですけどね。
それを打破するために、ラジオ独自の音源、例えば新曲をラジオで解禁したりとか、ライブを開催してその音源をラジオ独自でかけたり、といったラジオならではの工夫も見られますが、それでも手軽で便利な「無機質な媒体」にのされてしまう、という危機意識に温度差があったということになるのでしょうか?
ただ、あとは海外アーティストへのインタビュー、DJが直にライブで体験した様子のリポートなど、ラジオというヒューマンメディアでしかできないことがあります。もちろん、リスナーとのコミュニケーションもとれる。それが出来る限りは、ラジオは間違いなく存在していくはずですね。
DJやスタッフなど現場の人間の変化
次に考えられるのが、DJやスタッフといった現場の人間そのものが変化してしまった、ということを考えてみたいと思います。
「特に僕を取り巻く環境が変化した」のが”この1年”、となると「働き方改革」の影響も否定できません。法律が施行されたのは今年の4月ですが、1年以上前からこの法案に関する議論は進められていますし、その前には「プレミアムフライデー」も始まっています。つまり、働く時間に対して見直しが加速したのもこの1年と言っていいでしょう。J-WAVEやTBSラジオは実際、サラリーマンの帰宅時間の変化を鑑みてタイムテーブルを変えたくらいですし。
こうした働き方の変化がラジオ界にも波及した?ただ時間は削減しても、人員が変わらないのであれば、結果として一人一人への負担がかかります。DJやスタッフが不足して番組のクオリティが下がることも懸念されます。
この対策、および緊急時への対応としてFM COCOLOでは週末の深夜帯のフィラー番組「WEEKEND ALLEY」に業界で初めて、AIのDJを導入しました。それが今年の4月です。実際にはその前に緊急の情報を英語で伝えるのにAIを利用していたということですが、満を持して番組そのものを担当するようになったのです。
確かにこれは人員の負担軽減や緊急時への対応としての手段としては素晴らしいことですが、もしこのAIが人間に変わって多くの時間を占めるようになったら…。ヒューマンメディアであるはずのラジオが「無機質な媒体」と何ら変わらなくなってしまう。そのことへの警鐘なのかもしれない、と考えることもできます。
ヒューマンメディアでトップを走るFM802は原則24時間、生放送でDJが喋っている稀有なラジオステーションです。年に1回DJオーディションを行い、新人を発掘していますが、ヒロTも審査を行ったこともありますし、実際、今でも番組前には802の「LNEM」や「DASH FIVE」で喋っている現場に入り、アドバイス(ダメ出し)を送っていることが報告されています。後身の育成に余念がなかったはずのヒロTですが、それをもってしても人材面での問題が解消されなかった、ということになるのでしょうか?
さらにこの1年で言うと、802でヒロTのようなアメリカンスタイル(1人で選曲、ディレクション、出演をこなすタイプ)で進めるDJがいなくなっています。「DASH FIVE」の終了、更には「TACTY IN THE MORNING」もワンマンスタイルを排して普通の番組と同じ形で進められるようになりました。こうしたヒロTスタイルを受け継ぐ環境が出来なくなったのも大きそうですね。
スポンサーや事務所の圧力があった?
あと考えられるとしたら、近年のCD不況や営業面、例えばスポンサー確保に苦慮していることもあって、不本意な形で番組内で宣伝をしなければならない、といったこともあるかもしれません。
FM802やFM COCOLOでも、番組の流れをぶった切るような通信販売のコーナーを設けたり、スポンサーを入れるために時報の回数をかなり増やしたり、更に番組内で商品の紹介をしたりということがこのところ多くなっています。
また選曲という面についても、どの番組でも変わらなくなってしまった印象を受けますね。802が顕著で「WONDER POP」なんて正直、他の番組と変わらないですからね。世界のミュージックシーンのど真ん中のダンス音楽をかけまくった「BEAT DIFFUSION」やマニアックなR&Bをかけまくった「Groove U」が打ち切られ、そのDJだった久保田コージや河嶋奈津実が802を去ったように、金太郎飴のようにどの時間帯でも選曲を統一化させようという動きが出て来つつあるのかなあと思ったりもしています。とにかく日本の曲をかけろ、海外の曲は特定のアーティストしかかけない、みたいな。FM COCOLOでもゆかりのあるアーティストよりも、事務所が推したい曲をかけろ、みたいな。
そういった中で、自由な選曲、自由な番組構成が出来なくなり、この1年間特に息苦しさを痛切に感じてしまった。それをゼロにすることが出来なかった、じゃあDJってなんだ?スタッフって何だ?という無力感が引退へとつながったということも考えられます。
まとめ
つまり、自分が考えるところでは「この1年でストリーミング配信という無機質な媒体の進化により、これまでのラジオ発のヒット発掘というやり方が通用しにくくなった。このままでは無機質な媒体にのされてしまうが、それに対応するだけの人材が不足している。育成する環境も厳しくなっている。しまいにはAIも導入されて無機質な媒体と変わらなくなってしまう」ということを言いたかったのでしょうか?
あくまでこれは個人的な分析です。人それぞれ解釈の仕方は違うと思いますし、どうとでも取れると思います。ただFM界に多大な功績を残されたレジェンドを志半ば、このような不本意な形でやめさせてしまう状況になった、現在のラジオというのは本当に深刻な状況で、正にターニングポイントに差し掛かっているというのを考えさせられます。
今は他のリスナーのように「お疲れ様」とか「ありがとう」とか「リスナーに先に伝えるのがヒロさんらしい」とかいう気分になれません。自分が言いたいのはただ一言。
ホント、悔しいし、残念です。