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どうもです。注目の本を1冊じっくりと解説していくシリーズ。今回は川口俊和著「コーヒーが冷めないうちに」を取り上げていきます。
この作品が小説処女作となる川口氏は劇団の脚本や演出を数多く手掛けている方で、この作品も実は劇団・1110プロヂュースの公演で上演されたものが元となっています。演劇作品として第10回杉並演劇祭大賞を受賞し、その後2015年に晴れて小説化。「4回泣ける」という触れ込みのもと、売上65万部を突破するなど口コミでじわじわ人気が広がっています。2017年の本屋大賞10作品にもノミネートされていましたね。まあ、ノミネートされることに意義があるということですよ。
そしてこの秋には映画化も決定。続編に当たる「この嘘がばれないうちに」と合わせての映像化になります。主演の時田数役は有村架純となっています。
映画のレビューはこちらから。
とある街の人気の少ない路地裏の地下にある小さな喫茶店「フニクリフニクラ」。ここはある不思議な「都市伝説」があった。とある座席に座るとその時間だけ、望んだとおりの時間に戻ることが出来るという。そこには本当にややこしいルールがあって、それでも過去に戻りたいと思う噂を聞いた客が店を訪れていた。
Contents
あらすじ
第1話「恋人」
一週間前、この店で付き合っていた五郎から別れ話を切り出された二美子。「フニクリフニクラ」が「過去に戻れる喫茶店」という噂話を思い出し、再び訪れる。二美子は「現実が変わらない」というルールにショックを受けるも、それでも戻る決心をする。そして”過去に戻れる席”に着いた二美子は、1週間前に五郎と待ち合わせた時間へとタイムスリップするのだが…。
第2話「夫婦」
この店の常連、中年男の房木は今日も旅行雑誌を見てはメモを取っていた。そんな中、いつも迎えに来ている看護師の高竹のことを房木は忘れてしまう。「この日」がついに来てしまったことを悟った高竹は愕然とし、房木が渡しそびれた手紙を手に入れるため、まだ自分が「妻」であることを覚えていた時間へとタイムスリップする。その手紙には房木が本当に伝えたかった思いが込められていた。
第3話「姉妹」
18で家を飛び出し、近くでスナックを経営する三十路女の平井。たびたび妹の久美がやってきて、戻ってきてほしいという思いを何度も邪険にしてきた。実家とは縁が切れている。妹からも恨まれていると考えていた平井。しかし、ある日に起こった取り返しのつかない悲劇をきっかけにタイムスリップをすることを決める。まだ妹が生きていた3日前へ。そこで妹が平井に対して本当に思っていることを知ってしまい…。
第4話「親子」
現在妊娠している時田計。しかし生まれつき心臓が弱く、子供を産むと命に係わることになると告げられていた。堕胎するべきだと考える周りの言葉に対し、計は絶対に産むことを決める。そしてワンピースの女が席を立ったのを確認すると、10年後の未来で子供がどうしているのかを見たいとタイムスリップを決意する。夫の流は猛反対するが、数が珍しく薦めることを聞くと折れる。果たして、計は未来へとタイムスリップするのだが…。
登場人物・人物相関図
時田数(ときたかず)
美術系の大学に通いながら「フニクリフニクラ」でウェイトレスとして働いている。他人と交わるのを面倒と考えていて、特に友達は多くない。人の行動や意見に対して感傷的にならず、独特の距離感を持っている。
時田流(ときたながれ)
「フニクリフニクラ」のマスターである大男。時田数の従兄。
時田計(ときたけい)
時田流の妻。現在妊娠している。生来の人懐っこく、自由奔放、天真爛漫な性格。生まれつき心臓に疾患を持っていて小さい頃は入退院を繰り返していた。
清川二美子(きよかわふみこ)
医療系のシステムエンジニア。高校の時に6ヶ国語をマスターし、早稲田大学を首席で卒業。いわゆるバリバリのキャリアウーマン。恋人に別れ話を切り出され、その時に自分の思いを伝えられなかったことを悔い、1週間前に戻ってやり直したいと考えている。
賀田多五郎(かただごろう)
二美子の”元”彼氏で、同じ医療系のシステムエンジニアとして知り合った。自らの夢であるゲームプログラマーになるため、アメリカのゲーム会社に入社。それを突然二美子に告げ、アメリカ行きを決める。実は二美子には言えないコンプレックスを持っていた。
房木(ふさぎ)
「フニクリフニクラ」の常連の一人で、いつも旅行雑誌を見てはメモを取って過ごしている。この喫茶店の「都市伝説」を知っていて、いつか自分がタイムスリップすることを考えている。実はアルツハイマー病を患っており、記憶がなくなっていた。
高竹(こうたけ)
看護師。「フニクリフニクラ」のスタッフから電話を受け、房木を迎えに来ている。実は房木の妻で、彼がアルツハイマー病を発症してからは、旧姓である高竹を名乗り、房木の記憶に合わせている。あることで房木が渡しそびれているという手紙を受け取るため、過去に戻る決意をする。
平井八絵子(ひらいやえこ)
「フニクリフニクラ」の常連。スナックを経営。18歳の時に家を飛び出して以降、実家とは疎遠になっている。自分のやりたいような道を歩んできたため、これまでの人生で後悔することは無かった。この喫茶店の「都市伝説」のルールに詳しくても、それを使うことは無いと考えていたが…。
平井久美(ひらいくみ)
平井の妹で老舗旅館の若女将として働いている。定期的に休みを使って「フニクリフニクラ」に来て平井に会おうとしていたが、居留守を使われるなど何回も邪険にされてきた。大食いでこの喫茶店に来ると10000円を超える食事をする。
感想・解説
ワンシチュエーションの舞台・少ない登場人物
まずこの作品の特徴として、シチュエーションが小さな喫茶店「フニクリフニクラ」の中でほとんど展開されていて、登場人物も10人ほどしかいない、というところがあります。いかにも舞台作品を元にしているというのが見て取れますね。これだとおそらくセットチェンジとかの必要性もないですし、一人何役とか掛け持ちもしないで済む。その分一人の人間を徹底的に描くこともできるわけです。
その一方、各章が中編規模で完結する小説でありながら時系列は続いており、ほとんどの人物が全編を通して登場します。また各章で本筋とは違うところで別の章への伏線が張られていて、何回か読んでみないと分からないところも多いと思いますね。それと結構、人物の視点がコロコロ変わっていたり、説明的な文章や心情的なセリフが多かったりといったところに舞台作品といった趣を感じます。
ややこしいタイムトラベルのルール
ジャンルは数多の作品がある「タイムトラベルもの」になるわけですが、宣伝文句を見ると「過去に戻れる喫茶店」という話が先走って、「ああ、よくある話だな」と勘違いされる方も多いと思います。この作品、他のタイムトラベルものとの決定的な違いがそれこそ舞台作品が元であるからこその設定を生かした特殊なものになっているのですが、これが非常にややこしい。この説明の部分で脱落する読者がおそらく出るかもしれません。実際「フニクリフニクラ」はかつて「都市伝説」のうわさを聞き付けたお客で行列が出来るほどでしたが、ルールがあまりに複雑で、かつそれをクリアできない人がほとんどだったのです。まあどれくらい複雑かというと…
- 過去に戻っても、この喫茶店を訪れたことの無い者には会うことが出来ない。
あくまで会いたい相手と自分がかつて「フニクリフニクラ」に来たことがなければそこで出会えない。つまり偶然でも相手とこの喫茶店を訪れていることが最低限必要。
- 過去に戻ってどんな努力をしても、現実は変わらない
いわゆる「タイムパラドックス」が起きないために、別の力が働くようになっているらしい。よってタイムトラベルによって病気を治したり、死を回避したり、別れた恋人とよりを戻したりすることは出来ない。
- 過去に戻れる席が決まっていて、そこに先客が常にいる。座れるのは、その先客が席を立った時だけ。
- 過去に戻っても、席を立って移動することはできない。
以上の2つは他の作品とは一味違った、いかにも”舞台作品”的な設定ですね。過去に戻れる席が一つだけしかなくて、仮に座ることが出来たとしても移動出来ない。「フニクリフニクラ」は地下にあるので携帯電話がつながらない。このため電話をかけようと席を離れた瞬間に現実の世界に戻されてしまうというルールがあります。
しかもその席に座ることが至難の業。「先客」という若いワンピースの女は常に本を読んでいて、席を外すのは1日1回トイレに行く間だけ。しかもそれがいつなのか誰にも分からない。実はこのワンピースの女の正体は「幽霊」…。普通に触ることもでき、声を聴くこともできる「幽霊」。お願いをしても聞いてもらえないし、最悪力づくでどかそうとすると「呪い」をかけられてしまう。この「呪い」を解けるのが時田数しかいないのです。
- 過去に戻れるのは、コーヒーを注いでから、そのコーヒーが冷めてしまうまでの間
とこれだけややこしいルールがあってただでさえ戻りたい気持ちが失せる上に、さらに戻れる時間の少なさ。「コーヒーが冷めてしまう」時間は限られています。そこまでして戻りたいのかと思いますよね。
- 過去に戻ったら、コーヒーは冷めきってしまう前に飲み干すこと
でしかもこれが肝心。コーヒーを冷める前に飲み干さないと現実の世界に戻れなくなる。先客であるワンピースの女はかつてこのルールを破ってしまったために「幽霊」としてあの席に座り続けることになってしまったということです。
そのほか「亡くなった相手に会う時は、情に流されて現実世界に戻れなくならないようにするため、アラームを携帯する」「実は過去だけではなくて未来にも行ける。ただし未来のその日に喫茶店を訪れているかは分からない」「一度この席で時間移動した者は、二度と過去に未来にも行けなくなる」といったルールもあります。どうです?脱落せずに確認できましたか?
変わらない現実・変わるのは自分自身
この作品では「過去に行っても現実を変えることはできない、しかしそこで得た出来事によって、自分自身の考え方が変わり、結果として未来を変えていくことになる」ということがテーマとして描かれています。
最初に過去に戻った二美子のみならず、常連の平井に高竹、さらに時田計と恋や病気のことなど中身の違いはあれど、そのことで「戻ってみたい、やり直してみたい」という気持ちを持っています。過去に戻ったわずかな時間の出来事で相手の新たな一面を知り、それが今までの考え方を変え、新たな一歩を踏み出すきっかけになっていくのです。よく歴史書き換えという作品が多くありますが、これはそれへの反発というか「過去を変えられなきゃ意味がない」という意見や作品にそれは違うんじゃない?と投げかけるような作品になっている感じがしました。